プロフィール

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訪問いただきありがとうございます。XIANGTEC代表のカイシャンです。 最近「結局何してる人?」「どんな人?」という声が増えてきたので自己紹介ページを追加しました。

こんな滑り出しでいいのかとは思いますが、正直自己紹介ってうんざりします。自分が何者でもないことに向き合う時間は耐え難く常に避けてきました。とはいえ、初対面の方との挨拶や転職のたびに絶望していては心が持たないので今回限りでサクッと吐き出してしまおう、そんな魂胆で書きます。

同じくエンジニアをしてる方やクライアント様に興味を持っていただけたら幸いです。

概略

  • 建築科→PC修理屋→インフラエンジニア
  • INTJ(合理的で好奇心が強い、器用貧乏)
  • CS修士課程
  • 朝が苦手

趣味

  • クイズ: 浅く広くな知識を活かしてアタック25の予選通過。クイズの対策メモをまとめたTwitter botはフォロワー3700人超。みんはやのランクはS1。
  • DIY: 大学で木構造を学びCAD設計や構造計算ができる。
  • 将棋: いわゆる見る将で棋力は初段と控えめ。振り飛車党。
  • ポケモン: 取り憑かれたようにピカチュウグッズを集めている。
  • 英語:4か国語を話す両親に負けまいと始めた。1年ほど勉強してアメリカの大学院に入学。
  • 積読:本は好きだが正直読む時より買う時の方が楽しい。いつか読む日がくると信じて積み重ねる。

経歴

出木杉君と呼ばれた幼少期

既にパソコンの虫だった私には都合のいい家庭でした。コンピュータに疎い父が「これからはITだ!」と2年に1度新しいものを買ってくるため家には常に最新型が置かれていました。しかしやっていたことといえば、合ポケと呼ばれるポケモンのドット素材を加工して競う文化。SNSのない時代、掲示板を立てて活動してました。一方学校では運動会で使用する音楽の編集を任されたり、昼休みのバスケではリーダーとしてチーム分けをしたり、腕試しに受けた中学受験は3校全て合格したり、卒業文集の一言紹介には「何でもできる出木杉君」と書かれました。

中学生になり、ブログやオンラインゲームに熱中してプログラミングを覚えました。当時運営していたアダルトサイトのタイトルがあだ名になったのは内緒の話です。ブログ作るのが流行ってたんですよね。同じくオンラインゲームも大流行していました。後に案の定対策されてしまいますが自作のマクロを組んで24時間レベル上げしていたため数ヶ月でランカーになりました。楽することは今でも最も好きな事の1つです。

睡眠障害と失意

工業高校に興味を持っていましたが「バイクさえ乗らなければ犯罪でもなんでもござれ」という奔放な父親に反対され衝撃を受けます。残された半年で猛勉強し県内トップの公立高校に合格しました。しかし入学して間もなく睡眠障害に悩まされ毎日遅刻しては職員室で数時間の面談を受けるようになりました。理解してもらえない不甲斐なさと起きられない自己への嫌悪で気が滅入ってしまい悪循環。耐えきれず2年生後期にこっそりと高校卒業認定試験を取得して退学届を出しました。10年以上退学者がいなかったらしく大反対されますが、無理は言ってみるもので、進級する代わりに遅刻には一切口出ししないという約束を交わすことに成功します。これがいい選択だったかは分かりませんが、何とか卒業します。家庭環境が不安定だったこともあり毎日夜遊びに出かけだらしない生活を送っていました。

卒業後は特にやりたいこともなくふらふらと上京し遅刻の心配がない夜間大学に進学します。物作りが好きだったことから家でも設計してやろうと建築学科に入りました。木造住宅がやりたかった私ですが、木造なんてほんの一分野にすぎず期待していたことはほとんど学べませんでした。新しくて奇抜な提案を求められる課題ばかりで構造を支える柱の太さなんて極論どうでもいいと言われました。下調べが足りてなかったと思います。出鼻をくじかれ小さなパソコン修理業者でバイトを始めました。おじさんエンジニア4人にかわいがられながら数百台は分解修理したと思います。

何者にもなれない恐怖

4年経ち、やはりやりたいことを見つけられず、就活もしないまま社員として修理業を続ける選択をしました。学生時代いわゆる1軍2軍に属さずスクールカーストの外側にいた私は、資本主義の外側、つまり落ちこぼれでいることにこの頃は何の不安も抱きませんでした。

2年ほど働いていると、親戚や友人がいい大学を卒業し高い給料を貰ってる中、大したキャリアを築けていないことに焦燥感を感じてきました。このままでは何者にもなれないんじゃないかと自覚せざるを得ない年齢になっていたのです。「自分は大器晩成型だから」などとうつつを抜かしてはいられなくなったのです。

文学一筋で若くして大学教授になった父は、私が小さい頃から何度もこんな言葉を言っていました。「何か1つ極めなさい、10年やれば飯が食える、20年やれば美味い飯が食える」。正論かもしれませんが、母に似て冷静で現実主義の私は、上には上がいることを嫌なほど実感していましたし、今から学んだところで同じ土俵に立てるなんて想像もできず努力しない理由にしていました。馬鹿になれない方が馬鹿だと理解はしていても人間性は簡単に変えることはできません。それでも「何者にもなれなかった中年」になることはもっと想像できなかったのです。

毎日様々なお客様先に出向き会話する中で、ホームページ制作やイラストの依頼を個人的に受けることが増え、開業しボーナスも残業代もなかった給料の足しにしていました。職場で学ぶことは段々と減り、一念発起しインフラエンジニアとして上場企業に転職します。

まだ見ぬ高みへ駆け込み乗車

これは『かつて天才だった俺たちへ』の歌詞ですが当時の私の絶望感と苛立ちを非常によく表しています。初めての転職活動がきっかけでこれまでの経歴を振り返りエンジニアとしてどう生きていくのかを真剣に考えました。とにかく手と頭を動かさないと落ち着かず、国家資格である応用情報処理技術者とネットワークスペシャリストを取得し、今はコンピュータサイエンスの学位を取るためアメリカの大学院に在学中です。なんで今更大学なんだって思うかもしれませんが、建築専攻のエンジニアであることに少なからずコンプレックスを感じていました。足の裏の米粒を取るには多少割を食いますが、体力があるうちにやれることはやっておきたいと思っています。言い訳要素を1つ潰して時計の針がゆっくり動き出したような感覚です。

自信がない人間の生き方

さて、なまじ器用に色々のことがこなせるため挫折を知らず情熱もなく大成しないことがハッキリしてきていました。常に他人と比較し自信を持てず10年と続けたものはほとんどありません。自信がないから辞める、辞めるから自信がない、目も当てられないスパイラルです。転職後、人間らしい生活を取り戻してメンタルを回復した私が今心掛けていることが3つあります。

  • 自分ができることを明確にしてできないものは諦めること

    諦めることは自分を認めること。始業が遅い会社を選んで会社の近くに住んだ。

  • 他人とではなく過去の自分と比較すること

    他者と比較して得た自信は脆く簡単に崩れます。他人と比較して自分の価値を見失わない。

  • 自信ではなく能力をつけること

    「自信をつける方法」と調べて出てきた小手先のテクニックを実践して満足できるでしょうか。

    自信は結果の積み重ねであり、実力を伴った自信が欲しい。テストステロンがどうこうだから筋肉を付ける、じゃなくて能力を付けるのです。

代表作も肩書も、私にはまだ何もありませんが今できることを一生懸命やるくらいしか道がないようです。ここに残す読みにくい文章も、作文が何よりのストレスだった私の挑戦ともいえるものです。敢えて恥ずかしいとは言いませんが文章を公開するなんて前の私には考えられないことでした。

さいごに

私みたいな人間にとって自己分析は非常に体力を使うことが分かりました(しんどかった…)。長い間苦しめられていた睡眠障害とは通院して上手く付き合えており、今ではあらゆるモチベーションが湧いています。家庭環境も改善し家族LINEも日々賑わっています。今後は目の前のやるべきことに集中して、あまり考えすぎないことを心掛けたいところです。最後まで読んでいただきありがとうございました。