プロフィール

2022-3-08

訪問いただきありがとうございます。XIANGTEC代表のカイシャンです。 最近「結局何してる人?」「どんな人?」という声が増えてきたので自己紹介ページを追加しました。

こんな滑り出しでいいのかとは思いますが、正直自己紹介ってうんざりします。自分が何者でもないことに向き合う時間は耐え難く常に避けてきました。とはいえ、初対面の方との挨拶や転職のたびに絶望していては心が持たないので今回限りでサクッと吐き出してしまおう、そんな魂胆で書きます。

同じくエンジニアをしてる方やクライアント様に興味を持っていただけたら幸いです。

概略

  • 朝起きれません
  • サラリーマン(インフラエンジニア)
  • フリーランス(イラストレーター、カスタマーエンジニア)
  • 大学院生

趣味

  • クイズ: アタック25の予選を通過するも面接で落選(高校の後輩は出演までしてました…)。クイズの対策メモをまとめたTwitter botはフォロワー3500人超。みんはやのランクはS1。
  • DIY: 大学で木構造を学びCAD設計や構造計算ができる。
  • 将棋: 見る将(指すより見る派)のため段位は初段。
  • ポケモン: ピカチュウグッズをひたすら集めている。

経歴

出木杉君と呼ばれた幼少期

既にパソコンの虫だった私には都合のいい家庭でした。コンピュータに疎い父が「これからはITだ!」と2年に1度新しいものを買ってくるため家には常に最新型が置かれていました。しかしやっていたことといえば、合ポケと呼ばれるポケモンのドット素材を加工して競う文化。SNSのない時代、掲示板を立てて活動してました。一方学校では運動会で使用する音楽の編集を任されたり、昼休みのバスケではリーダーとしてチーム分けをしたり、腕試しに受けた中学受験は3校全て合格したり、卒業文集の一言紹介には「何でもできる出木杉君」と書かれました。

中学生になり、ブログやオンラインゲームに熱中してプログラミングを覚えました。当時運営していたアダルトサイトのタイトルがあだ名になったのは内緒の話です。ブログ作るのが流行ってたんですよね。同じくオンラインゲームも大流行していました。後に案の定対策されてしまいますが自作のマクロを組んで24時間レベル上げしていたため数ヶ月でランカーになりました。楽することは今でも最も好きな事の1つです。

睡眠障害と失意

工業高校に興味を持っていましたが「バイクさえ乗らなければ犯罪でもなんでもござれ」という奔放な父親に反対され衝撃を受けます。残された半年で猛勉強し県内トップの公立高校に合格しました。しかし入学して間もなく睡眠障害に悩まされ毎日遅刻しては職員室で数時間の面談を受けるようになりました。理解してもらえない不甲斐なさと起きられない自己への嫌悪で気が滅入ってしまい悪循環。耐えきれず2年生後期にこっそりと高校卒業認定試験を取得して退学届を出しました。10年以上退学者がいなかったらしく大反対されますが、無理は言ってみるもので、進級する代わりに遅刻には一切口出ししないという約束を交わすことに成功します。これがいい選択だったかは分かりませんが、何とか卒業します。家庭環境が不安定だったこともあり毎日夜遊びに出かけだらしない生活を送っていました。

卒業後は特にやりたいこともなくふらふらと上京し遅刻の心配がない夜間大学に進学します。物作りが好きだったことから家でも設計してやろうと建築学科に入りました。木造住宅がやりたかった私ですが、木造なんてほんの一分野にすぎず期待していたことはほとんど学べませんでした。新しくて奇抜な提案を求められる課題ばかりで構造を支える柱の太さなんて極論どうでもいいと言われました。下調べが足りてなかったと思います。出鼻をくじかれ小さなパソコン修理業者でバイトを始めました。おじさんエンジニア4人にかわいがられながら数百台は分解修理したと思います。

何者にもなれない恐怖

4年経ち、やはりやりたいことを見つけられず、就活もしないまま社員として修理業を続ける選択をしました。学生時代いわゆる1軍2軍に属さずスクールカーストの外側にいた私は、資本主義の外側、つまり落ちこぼれでいることにこの頃は何の不安も抱きませんでした。

2年ほど働いていると、親戚や友人がいい大学を卒業し高い給料を貰ってる中、大したキャリアを築けていないことに焦燥感を感じてきました。このままでは何者にもなれないんじゃないかと自覚せざるを得ない年齢になっていたのです。「自分は大器晩成型だから」などとうつつを抜かしてはいられなくなったのです。

文学一筋で若くして大学教授になった父は、私が小さい頃から何度もこんな言葉を言っていました。「何か1つ極めなさい、10年やれば飯が食える、20年やれば美味い飯が食える」。正論かもしれませんが、母に似て冷静で現実主義の私は、上には上がいることを嫌なほど実感していましたし、今から学んだところで同じ土俵に立てるなんて想像もできず努力しない理由にしていました。馬鹿になれない方が馬鹿だと理解はしていても人間性は簡単に変えることはできません。それでも「何者にもなれなかった中年」になることはもっと想像できなかったのです。

毎日様々なお客様先に出向き会話する中で、ホームページ制作やイラストの依頼を個人的に受けることが増え、開業しボーナスも残業代もなかった給料の足しにしていました。職場で学ぶことは段々と減り、一念発起しインフラエンジニアとして上場企業に転職します。

まだ見ぬ高みへ駆け込み乗車

これは『かつて天才だった俺たちへ』の歌詞ですが数年前の私の絶望感と苛立ちを非常によく表しています。初めての転職活動がきっかけでこれまでの経歴を振り返りエンジニアとしてどう生きていくのかを真剣に考えました。自分は未熟だと自覚し、1から勉強し国家資格の応用情報処理技術者とネットワークスペシャリストを取得しました。

インフラを選んだ私ですがプログラミングもやはり好きで日々最新技術を追っていました。個人開発をしてると英語のドキュメントやエラーメッセージを読む必要があります。それとなく英語の勉強はしていましたが、ある時Redditのコミュニティで出会った外国人と仲良くなり毎週言語交換をすることになりました。読み書きはできるのにいざ話すとなると固まってしまう典型的な日本人の問題にぶち当たり英語学習に火が付きました。毎日英語の勉強をして週末の通話に備える生活を半年ほど続けた頃、オンラインでアメリカの大学院に通えることを知ります。専攻にコンプレックスを感じていたこともありコンピュータサイエンスと英語を同時に学べる、と運命を感じすぐに申請しました。ひとまず入学試験の英語能力テストは通過したので2年間は残業が少ないことを祈ります…。

さいごに

通院し睡眠障害とは上手く付き合えており、今ではあらゆるモチベーションが湧いています。家庭環境も改善し家族LINEも日々賑わっています。これからは少しでも自己肯定感を高めて行くために技術を磨くのみです。最後まで読んでいただきありがとうございました。